ボツリヌス毒素の薬理
神経筋接合部に於いて,神経の興奮が神経終末に達すると,アセチルコリンが放出されます。そしてアセチルコリンが筋にあるニコチン受容体に結合すると筋収縮が起こります。
ボツリヌス毒素は神経筋接合部に於けるアセチルコリンの放出を阻害することで筋収縮を抑制します。
これを例えば雛眉筋(眉間に皺を寄せる表情筋)で起こせば,この筋が動きにくくなることで眉間の皺が抑制されます。
表情筋へのボツリヌス毒素治療
表情筋にボツリヌス毒素を注入することで,表情を作ったときに過剰に寄る皺の改善が期待できます。また,将来的にこの皺が刻まれていくことの予防にもなります。いくつかの代表的な施術に関して解説します。
眉間
雛眉筋に作用させて眉間の皺の改善を図ります。この皺は怒りや困惑といったネガティヴな感情と関連しているため,この皺の改善は外見上のみならず感情的にも高い満足度を得られることが多いです。この部位への施術で起こりうる合併症としては,眼瞼挙筋へ薬液が作用してしまうことによる眼瞼下垂が挙げられます。眼窩の骨と注入の方向を意識した手技が求められます。また,当院では不必要な拡散を防ぐために薬液を濃い目に調整しています。もう一つの合併症として,額中央部の前頭筋に薬液が作用し,その代償として外側の前頭筋が過剰に収縮して眉が吊り上がる,所謂Spock現象があります。これが生じるかどうか予測した上で,出来るだけ生じない様に注入を行っていますが,完全に防げるわけではありません。生じた場合は追加注入で対応出来ます。
額
前頭筋に注入することで額の横皺を改善します。この部位へのボツリヌス毒素治療は眼瞼の状態への配慮が不可欠です。
そもそも額に横皺が寄る人は眼瞼下垂の傾向があることが多いです。眼瞼挙筋による開瞼が不十分なため,代償的に前頭筋を用いて開瞼しているわけです。その様な場合に前頭筋の収縮を抑制してしまうと,眼瞼下垂の症状が顕在化し,重大な不都合を生ずることがあります。また,明らかな眼瞼下垂がなくとも,額の皺を寄らなくすれば眉毛が下がり,結果として二重幅が狭まることがあります。どの程度の副作用を容認出来るかカウンセリングで確認した上で,施術を行う必要があります。眼瞼の状態によっては施術が出来ないこともあります。
目尻
目尻に放射状に走る皺は俗に「烏の足跡」とも呼ばれます。目尻へボツリヌス毒素注射でこれを改善できます。
この皺は笑い皺でもあるため,過剰な治療を行うと,人によっては「笑えなくなった」などの不満が出ることがあります。その人の表情の作り方などを観察した上で,控えめな治療を行うべき部位と考えます。
オトガイ
オトガイ筋の収縮によって作られる顎の梅干し状の皺を改善します。顎の小さい人は下唇を閉じるのにオトガイ筋をより使うため,そういう人に生じやすい皺です。また,加齢による顎骨の萎縮に伴い,同様の機序で生じやすくなります。したがって,オトガイへのヒアルロン酸注入の併用もしばしば勧められます。
この部位への注入で注意すべきなのは,横方向への拡散による下唇下制筋への作用です。片側の下唇下制筋に拡散すると笑い方の左右差を生じます。
口角下制筋
口角下制筋はその名の通り口角を引き下げる筋です。この筋へボツリヌス毒素を注入して緩めることで,口角が上がりやすくなる効果が期待できます。注意すべきは,真顔のときの表情は,——普段から口角下制筋の緊張が強い人は別にして——変わらないということです。口角の位置そのものが上がると思っている患者さんは少なくなく,当院ではこの点を認識して頂いた上で治療を行っています。適応がよければ満足度の高い治療と考えています。リスクとして,笑い方の左右差が生ずることがあります。
骨格筋へのボツリヌス毒素治療
骨格筋は使用していないと萎縮してきます。骨格筋の収縮をボツリヌス毒素により抑制することで筋萎縮を図ることが出来ます。
咬筋
美容医療に於ける骨格筋へのボツリヌス毒素治療で最も一般的なのは咬筋への注入です。
咬筋が張っていることによる角張った下顔面(Square jaw)を改善します。食いしばりの改善目的で行われることもあります。
合併症としては硬いものが噛みにくくなるといった直接的なもののほか,笑筋に拡散することによる笑い方の左右差があります。安全な領域に,多すぎない量を注入することで合併症のリスクを抑えられます。
また,咬筋の深層に対する効果に比して浅層への効果が小さい場合,代償的に浅層がより収縮して咬筋が目立つ paradoxical bulging を生ずることがあります。効きムラがある施術後1週間程度は経過観察し,改善しない場合は浅層に追加注入することで対応します。
僧帽筋
僧帽筋は首をすくめる動作に関与しています。この筋を緩めることで肩凝りの改善が期待できます。また,この筋を萎縮させ,肩のラインを形成する様な使用法もあります。
合併症としては,三角筋に誤注入することによる腕の挙上困難があります。
腓腹筋
ふくらはぎの盛り上がりを気にする方は多く,この悩みに対して腓腹筋にボツリヌス毒素を注入する治療が行われることがあります。脚の筋を萎縮させることはデメリットが勝ると考えているため,当院は腓腹筋や大腿四頭筋へのボツリヌス毒素治療を積極的には勧めていません。どうしても希望される方は御相談下さい。合併症としては脚の筋力低下が考えられます。
ボツリヌス毒素による腋窩多汗症治療
汗を分泌するエクリン汗腺も,筋と同様にアセチルコリン作動性であるため,腋窩にボツリヌス毒素を注入することで脇汗の量を抑制することができます。この治療を受けるにあたって理解しておくべきは,腋窩へのボツリヌス毒素注射は腋臭症(ワキガ)の治療にはならないということです。腋臭症に関与するアポクリン汗腺はアドレナリン作動性であるため,ボツリヌス毒素で腋臭症の症状が改善することは期待できません。
当院で採用しているボツリヌス毒素製剤
当院ではボツリヌス毒素製剤としてChong Kun Dang社(韓国)のVeganus(ヴィガヌス)と,Medytox社(韓国)のCoretox(コアトックス),Allergan社(米国)のBotox Vista(ボトックスビスタ)を採用しています。